文化の変化を引き起こすものは

究極的には当該文化の内部にあるのか外部にあるのか、それは具体的にはなんであるか、という問題は、個別文化の中核にあって統合を規定し、その文化の構造を規定する決定要因を何に求めるかという問題でもある。

文化人類学者のなかでは、これをアメリカの人類学者ベネディクトがライト・モチーフ、同じくアメリカの人類学者クラックホーンがエトスとよんで、価値体系ないし精神活動としてとらえている。

他方、マルクス主義では、物質的条件、とくに経済行動(下部構造)を決定要因であるとし、生産力と生産諸関係の矛盾からすべての変化が説明される。

さらに、文化のなかでの言語・価値の分野を重視して、上部構造である文化は下部構造からの相対的自律性を保つとして、マルクス主義を限定的に解釈する立場もある。

西洋料理はヨーロッパ、アメリカなどの

西洋諸国において発達した料理である。

料理はその国の風土、産物、民族性などによって違いがある。

西洋料理にみられる共通の特色は、鳥獣肉類の広範囲にわたる利用と多量の油脂の使用、ならびに料理の風味を高めるための各種の酒類、スパイスなどの使用があげられる。

日本に初めて西洋料理をもたらしたのは、1543年(天文12)種子島(たねがしま)に漂着したポルトガル人であるといわれている。

それから1639年(寛永16)徳川3代将軍家光(いえみつ)が鎖国令を発布するまで、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスとの間に交流が盛んに行われ、洋風料理も広まっていった。

鎖国によって西洋料理も姿を消したが、19世紀の初期に蘭学(らんがく)が盛んになるとともに、オランダ風の料理がつくられていた。

1858年(安政5)日米修好通商条約調印によって長崎、横浜、箱館(はこだて)の港が開港されたのを機に、西洋料理は本格的に普及し始めた。

横浜は江戸に近いので開港当時もっとも重要視されて、外人用ホテルができ、コックが来日して日本人にもその技術が伝わっていったが、当時の西洋料理は西洋人のために供されることが多かった。